+強き想いのその果てに 〜時空を越えた三国志〜<出会い編>+ |
「秦の国から参りました。私は、
趙雲
と申す者でございます」 その声が、鮮やかに響き渡る。 緑を基調とした衣装を身にまとい、艶やかな髪をひとつに後ろで束ねている趙雲である。 今まで下げていた頭を趙雲はゆっくりと上げ、自分の前にいる人物に視線を送る。 何段もの階段の上に設けられた、ひときわ華やかな椅子の上に、深く腰を下ろしている曹操―――その人に。 美しい女たちがその後ろに並び、階段の下の広間には、屈強な男たちが端に控えているその光景は、目を見張るほどに雄大なものに思われた。 趙雲はその光景を前にし、膝を曲げ、今にも平伏す態度をとることしか出来ないでいた。 「長旅、ご苦労であった。ここでゆっくりとその疲れをとるがよい」 意外にもその声は、趙雲が想像していたものとは異なり、耳に心地よい、優しいものに思われた。 遠く離れた趙雲の国、秦であっても、曹操という名を知らぬものは誰一人いない。 その名が人から人へ伝わっていく上で、国境など何の障害にもならなかったのである。 戦での人並み外れた統治力、敵に対する目を覆いたくなるような卑劣な行い。 ありとあらゆる噂が、途切れることなく秦の国にも飛び込んできたのだ。 それ故、趙雲は曹操を鬼のような顔と、地を揺らすほどの低い声を有した人物であると思っていたのである。 しかし、目に強い光は宿しているものの、その顔は爽やかな青年のようであり、その声は暖かな春の日のように穏やかなものであった。 そのあまりにも大きい想像と現実の差に、趙雲は戸惑いを隠せないでいた。 「ありがとうございます・・・」 再び深く一礼をする趙雲。 「それで・・・。我が国の帝への挨拶は済んだのか?」 「はい。早々に引き上げてまいりましたが・・・」 足を組み替え、顎に手を当てながら曹操は言う。 「ほう・・・。我が国一番の権力を持つ者への挨拶を早々に済ませるなどどは、そなたの国は何と礼儀知らずな国よ」 その言葉を聞き、趙雲が不敵な笑みを形どる。 「いいえ。そうではございません」 「そうではない・・・というと・・・?」 面白そうに、曹操は趙雲の話に耳を傾ける。 「はい・・・。恐れ多くも、この国の帝のお命は後わずか。その帝への挨拶など、単刀直入に申しまして、全くの無意味。この国の次の主であるあなた様への挨拶こそ、私がこの国へ使者として参りました、本当の理由でございます」 趙雲の言葉を聞き、そこにいる曹操以外の誰もが動きを止めた。 「それがお前の考えということか」 無機質なその声からは、この世に存在するすべての感情が感じ取れるようであった。 「いいえ。私は秦からの使者。私からあなた様への言葉は、我が国の帝の意思。すなわち、我が国、秦の意思でございます」 「なるほど。私が次の帝になると・・・。しかし、あの帝がそんなにも年老いているとは思えないが・・・」 確かに、漢の帝は年老いてなどいない。 むしろ、青年といえるほどに若かった。 若い頃に前の帝であった父を亡くし、その後をついで早くに帝の位につき、今は政などは側近のものなどに任せ、自分は極楽の世界から抜け出せぬ日々を送っていた。 「いえ・・・。生命の寿命の問題ではございませぬ。権力の寿命の問題でございます」 その言葉を最後に、しばらくの沈黙が辺りを包み込む。 趙雲の大胆すぎる言動に、周りに控えていたものたちは動揺のあまり顔を見合わせていた。 「はっ、はっ、はっ、はっ、はっ!! 面白い。では、ここに好きなだけ留まり、せいぜい私に媚びるがよい」 曹操の高笑いが響き渡る。 その言葉を聞き、軽く頭を下げた趙雲は、再び床に膝をついた。 「つきましては、我が国から曹操様への贈り物を受け取っていただきたく存じます」 そう言うと、趙雲は慣れた仕草で指を鳴らした。 すると、後ろの大きな扉が開かれ、次から次へと、眩しいばかりの、金、銀、宝石などを持った秦の使者が入ってきた。 秦は、この漢に匹敵するほど大きな国である。 それ故、お互いの権力争いは激しくなるはずであるが、両国の帝は、天下などに興味のないため、互いの国への手出しを禁止する同盟を結んでいた。 その誓いを確認するかのごとく、漢と秦の間の国では、定期的に使者が行き来していたのである。 「ありがたく受けとろう」 さほど興味もない様子の曹操である。 曹操への贈り物を持った長く続いている奏の使者のうちの一人が、一冊の本を持ち、趙雲に近寄った。 それを目で確認すると同時に、趙雲は口を開く。 「曹操様。突然ではございますが、曹操夫人はどちらでございましょうか」 「秦の使者が、我が妻に何の用であるか」 隣にいる、使者の手から本を受け取り、それを高く掲げ答えた。 「我が国では、今、女人が書物を読むことがはやりでございます。よって、曹操夫人にも書物を献上いたしたく思っております。この書物は、我が国の数多の女人たちが、喉より手が出るほどに欲しがる、大変貴重なもの」 「なるほど、女にも知識が必要であるということか・・・」 そいうと、曹操は趙雲から視線を外した。 「 貂蝉 その言葉と共に、曹操の後ろへ控えていた女人たちの中でもひときわ美しい娘が、静かに一歩前へ出た。 「お初にお目にかかりますわ。趙雲。私が、曹操様の正室である、貂蝉にございます」 「お前への贈り物だそうだ」 笑い混じりに趙雲の持つ書物を指差し、曹操は言う。 その言葉を聞き、貂蝉もクスリと笑いを浮かべる。 「私は、書物など、興味はございません。なんて、堅苦しい。私は、金や銀、宝石などを頂戴したく存じますわ」 「きっ、金などでございますか・・・?」 とまどう趙雲をよそに、貂蝉はなおも続ける。 「ええ。私のような美しい者に、書物など、似合うと思いまして? ねっ、曹操様」 「はっ、はっ、はっ。そうだな。お前なら、そう言うと思っていた。それでこそ貂蝉だ」 曹操は、側近のものを呼び寄せると、耳元で何かを命じた。 側近は、小さく「かしこまりました」と頷くと、足早に広間を出て行く。 「そのように書物が女人の中で読まれているのならば、女も知識を得てくるのであろう。女が政に口を挟む日も、そう遠くはないのではないか」 「いいえ。そうではございませぬ。女人は、書物で知識を得るのではございません。女人は、書物で愛を学ぶのでございます」 興味深げに、曹操は少し身を前に出す。 「ほう・・・。愛を・・・」 その曹操の様子を見、得意げな様子を浮かべる趙雲。 「そうでございます。愛と恋とは違いましょう。恋とは、人の身で行い、愛とは、人の心で感じます。愛は、様々なものを奮い立たせ、また、様々なものを狂わせる。その恐ろしくも美しい、愛を学ぶのでございます。男は知識をもって女を守り、女は愛をもって男を癒す。我が国の女たちは、愛する男のため、書物を手にするのです」 「お呼びでございますか。曹操様・・・」 趙雲の話が終わると同時に、曹操の横の扉が開き、そこから一人の娘と、それに付き添っているであろう側近の男が入ってきた。 娘は、腰を曲げ優雅に礼をし、その側近は、膝を曲げ深く一礼をした。 「甄姫か。ここへ・・・」 その言葉により、甄姫は曹操の傍へ近寄る。 「はい・・・」 近づいてくる甄姫を、曹操は自分の片腕で包み込んだ。 甄姫は、曹操に向けていた視線を床に落とし、そして、それは趙雲に向けられる。 「この秦の使者が持ってきた書物、お前にやろう」 再び甘い視線を、曹操に向ける甄姫。 「まあ、書物でございますか。嬉しいこと」 喜びに満ちた表情で、曹操の腕の中から甄姫は一歩前へ出た。 曹操は甄姫の反応に、穏やかな表情を浮かべる。 「趙雲、紹介しておこう。私の側室の一人である甄姫だ」 「甄姫でございます」 腰を低く落とし、可憐に再び礼をする甄姫。 しかし、甄姫の挨拶に対する答えが返ってこない。 そこにあるのは、しばらくの無音であった。 「使者殿・・・?」 目を細め、不思議そうに甄姫は言う。 「あ・・・。秦から参りました・・・。趙雲と申します・・・」 曹操に行った挨拶とは異なり、その声は確かに震えていた。 その様子を知ってか知らずか、甄姫は嬉しそうに話す。 「私、本はよく読みますの。この書物もありがたく読ませていただきますわ」 趙雲は、言葉を放つことが出来なかった。 手は凍ったようにかたまり、口は開きたくとも開けない。 そして、目は乾燥するほどに見開いていた。 そう・・・。 見とれていたのだ。 目の前にいる、甄姫に。 この、美しい 女 目を細め、涼やかに笑うその姿は、羽衣を探しに天から舞い降りてきた天女であったか。 それとも、気高く咲き、その身を棘によって守る、薔薇の花のようであったか。 甄姫の身につけている高価な宝石でさえ、この美しい人を前にすると、その輝きは瞬く間にかげる。 腰まで届く長い髪を高く結び、青で統一された衣装は、甄姫の整った 躰 「お前なら、そう言うと思っていた。それと、甄姫・・・。この本は愛を学ぶものだそうだ。せいぜい、それで愛というものを学ぶがよい。私に対する、愛をな・・・」 そう言いながら、曹操は斜め前にいる甄姫の腕をつかみ、自分の方へを引き寄せ、片膝に甄姫を座らせた。 「まあ・・・。愛でございますか・・・。私には恐れ多いものかもしれませんわね・・・」 その言葉を聞き、曹操は甄姫の髪を掻き揚げると、その髪に軽く口付ける。 趙雲はそれを、瞬き一つせず強い眼差しで見つめていた。 「それは、私に対する嫌味か・・・。甄姫」 口元の甄姫の髪を離さずに曹操は言う。 「いいえ。そうではございません・・・。曹操様」 「忘れるな。その命が誰の手中にあるのかを」 片膝の上にいる甄姫を、曹操は立ち上がらせる。 「はい・・・。片時も忘れたことはございません」 甄姫は、曹操と向かい合うと深く頭を下げた。 前で繰り広げられている二人のやり取りを、趙雲は黙って見ていることしか出来なかった。 それは、趙雲が他の国から来た秦の使者であるという理由ではなく、曹操への複雑な想いと、甄姫への敬愛と言うには深すぎる感情からであった。 「それでは、曹操様。私はこれにて失礼させていただきます」 甄姫は、再び側近を連れ、大きな扉から出て行った。 それを目で追う様子はなく、曹操はその視線を趙雲だけに向けていた。 「美しい女であろう・・・。甄姫は」 微笑を浮かべる曹操に対し、趙雲は不自然に硬い表情を崩す。 「はい・・・」 「あれの命は私のものだ」 曹操の言葉を聞き、趙雲は自分の体の血が逆流するような感じがした。 喉にひどい渇きを覚え、思うように声が出ない。 「はい・・・。承知いたしております・・・」 その声に秘められた小さな震えであろうとも、曹操は決して聞き逃すことはない。 趙雲は、曹操の痛いほどの視線を受け止めることが出来ず、思わず視線を逸らした。 自分は奏からの使者。 この国に深入りすることは許されない。 例え、どんな感情に縛られようとも・・・。 そして、頭の中で幾度となく響いているのは、曹操の言葉。 ―――あれの命は私のものだ。 分かっている。 人のものに手を出すことなど、許される訳がない。 しかも、相手は曹操。 命など、ないに等しい。 けれども、趙雲は、自分を取り巻く感情を切り離せないでいた。 そして・・・。 禁断の果実へと手を伸ばすのである。 ―――あれの命は私のものだ。 そう口にした曹操の想いの深さなど知らずに・・・。 >>>強き想いのその果てに 〜時空を越えた三国志〜 <散花編>に続く。 |
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